11月19日 (日)  100周年

今日は、地元萩原小学校の創立100周年の記念行事がありました。4女が、通っていることもあり、かみさんは、学校へ行きました。親父も地元の顔役で、招待されていました。とにかく、100年は、おめでたいことだと思います。・・残念ながら、私は、残業の続きをしていましたので、見にいけませんでした。昨日の電話のことで、あまり寝むれませんでした。仕事も途中で止めてしまいました。遅れを取り戻そうと夕方まで、作業をしていました。・・・最近は、いじめの問題で、幼い子供や少年少女が、命をおもちゃにされてしまいます。根の深い問題かもしれません。そもそも、いじめという言葉が、ダメだと思います。暴力をふるえば、傷害です。お金を盗ったら、恐喝です。言葉の暴力だって、心を壊せば、犯罪になると思います。私は、学校時代は、大したいじめは、受けませんでした。やられたら、やり返す覚悟を持っていました。言われて、黙っていません・・。しかし、大人の社会になると、いじめは、陰湿です。仕事絡みは、お金のやり取りになるので、我慢しなければ、ならないこともあります。どこにだって、根性の曲がったアホは、います。仕事は、仕事が終われば、それで終わりだから・・一線が、引けます。仕事以外で、どうにもならないことで、迫害を受けた経験があります。ある協会での自分の地位を利用して、気にいらないものは、排除する人がいました。影にまわっては、悪口をいったり、回りから、敵になるようにされたり、
相手にプレッシャーをかけてくるような汚い男でした。私も、ずいぶん、我慢していましたが、私の、大切にしている仲間まで、攻撃されました。こうなると、自分だけのことで、お収まらなくなって、その協会の全体会議のときに、みんなのいる前で、やり返しました。その後も、いじめはありましたが、私の主張をみんなが、信じてくれて、その男は、協会を追われるように辞めて行きました。
 真実は、勝ちます。逃げずに戦う勇気が、必要だと思います。・・いじめは、戦わないと解決しません。
自分だけで、苦しまないで、助けを求めればいいんです。子供にもあてにされないような、大人が、情けないんです。100周年とは、関係ないけど、いじめのない学校は、できないものでしょうか・・・?博康